フリーランスになる前は、世界のあちこちを巡りたいと考えていた。
友人知人からはよく「バックパッカーが似合いそう」と言われていたし、自分でもそのような旅へ出ることも悪くはない、と思っていた。困難な道になるだろうが、それらを潜り抜けてこその人生だと。
それでも、フリーランスになりたての頃はその道を選ばなかった。というのも、当時はうさぎを飼っていたので、誰かに預けたり里親を探したりと、そういった選択は自分の中では皆無であったし、何よりも離れたくなかった。
そもそもフリーランスになった理由の一つに、うさぎという存在がある。これはまた別の記事で書こうか。
一旦は世界への道を延期し、だからというわけではないが日本の各地へ行ってみよう、と考えた。
日本各地における仕事
フリーランスとなった当時、仕事を得るためのベースはクラウド上でのマッチングサービスを利用していた。
主に使っていたのはランサーズで、日本各地に足を向けることになったプラットフォームとなった。ランサーズなくして、「今の自分はない」と言っても過言ではない。ランサーズそのものの価値は別として。
今でこそ紹介が紹介を呼び、繋がりが広がりつつあると実感しているが、当時は完全にランサーズに依存していた。来る日も来る日もランサーズにログインしては仕事を探していた。
報酬も出会いも
報酬を得られる仕事、を求めてクラウド上でのマッチングサービスに手を出したわけだが、求めていたものの斜め上の見返りが返ってくることもある、ということがわかってきた。そのものずばり「出会い」だ。
人との出会いはもちろん、仕事の内容が面白ければ、これもまた出会いだと踏まえている。
ランサーズではなくクラウドワークスでだが、こちらで唯一知り合った人も、人として面白い人で、かつ与えてくれる仕事も、内容と報酬共に満足できるレベルのものであった。
余談となるが、フリーランスとしての時給が初めて1,000円を超えた仕事が出来たのも、この人がきっかけであった。
このように、人との出会い仕事との出会いが、後に日本各地に足を向けるきっかけとなることになる。
初めて足を向けたのは沖縄
自分という存在をより身近に、と求めてくれたのは、沖縄で通販をしている個人事業主の人であった。
「沖縄へ来てくれませんか?」と電話で言われたときは、不安が半分、嬉しさ半分であった。知り合ってメールや電話でのやりとりをするうちに、もうこちらへ来て現状を知った上で仕事を依頼したい、と考えてくれたのだろう。
母親が沖縄出身ということもあって、幼少時から何度となく足を運んでいた沖縄へ行くのに、今更「リゾート気分を味わえる」なんてやましい気持ちは芽生えなかった。
そういう意味では、「フリーランスとして」初めて足を向けた土地が、沖縄であった。
上手くはいかなかったけど
単純に、フリーランスとしての自分、そして自分が持ち得る知識や技術に賭けてみよう、とあちらが考えてくれたであろうことが嬉しかった。
結果、仕事はうまくいかなかった。着手することすら困難となった。どちらが悪いわけでもなく、理由はもっと別のところにあった。
それでも、知り合ってから数年経つ今になっても、月に数度は電話でバカな話をしつつ、時にこちらが沖縄へ行き、時にはあちらが東京に来る。
そういう、ビジネスを超えた仲間となり得たのは人生における収穫だと思っている。
ところで、この人の人生には学ぶべきことが多々あるので、これもまた別の記事で書きたいと思う。
次に足を向けたのは青森
沖縄の次は青森。これが北海道だったなら、「いきなり日本の最北と最南を制覇した!」なーんてことが言えただろうに。
そしてそんなことが言えなくてもいいと、心から思える程の出会いがまたしても待っていた。今回出会うことになる人とも、これまた今も連絡を取り合っている。
フリーランスになりたての頃は地元和歌山にいた。和歌山から青森への旅路は、お金のない20代にとっては相当に厳しい道のりとなったが、そんなことはどうでもよくなる結果を得ることができた。
転職期において
青森に足を向けたのは、当時は飲食店で営業兼なんでも屋として働いていた、今は造園業でこれまた何でも屋として働いている、40代の一人の男性との出会いがきっかけだった。
webにおけるマーケティングを教えるという、今となっては「当時の自分が何を教えられるんだ…」、と思えてくるような仕事の内容であった。
この仕事で得た一番の報酬は、結果自分のものとなるマーケティングの知識であった。
あとは、この人の転職期において様々な話が聞けると共に、それを肌で感じる機会となったことも、自分の中では大きい。
もちろん他にも、この人から得ることが出来たものがあった。人生の先輩として、家族を持つ男として。そんな一人の人間から得られるものは、まだ青い20代の青年にとって、大きな収穫であった。
名産品を送ってきてくれるのは本当に嬉しい
飲食店時代も、今の造園業時代も、マーケティングに始まりwebサイトの制作といった実務に至るまで、きちんとお金が絡む仕事を与えてくれた。やはりお金を頂けるというのは、人間の本質として嬉しさを感じるのだろうか。
先ほどの沖縄の通販業の人同様、この人ともバカな話を出来ることが嬉しい。それも嬉しいのだが…。
青森産のりんごや、実家が農家で米を作っているからと、もち米で造られたもちを送ってきてくれる。「いちご煮」や「せんべい汁」なる知らなかった食べ物も、送ってきてくれた。
お金も嬉しいが、こういう「名産品」を送ってきてくれるというのは、本当に嬉しいものだ。それが見たことのない品ならなおさら!
この人の人生もまた、学ぶべきことが多々ある。もちろん別の記事で書くことにする。
とにかく、このような仕事も出会いも、そして報酬も、フリーランスだからこそ、だ。