あれからもう2年も経つのかと思うと、時間が経つのは早いものだな、としみじみ感じる。
そう、2年前の今日、自分は沖縄の那覇に滞在していたのだ。いま流行りのシェアハウスとか、沖縄には山ほどあるゲストハウスでの滞在ではない。
知人が借りたアパートを、その知人が利用しないあいだ、自由に使わせてもらえることになった。自由に使った期間分だけ、家賃を半分支払うという約束の元。そういった点では、「期間限定シェアハウス」のようなものか。
たった3ヵ月、されど3ヵ月。仕事に結びついたこともあるし、プライベートでの出会いも幾人か経験した。
2年前のことだから、どれだけはっきりと思いだせるかはわからないが、当時を振り返ってみようと思う。
沖縄での仕事
沖縄全土に店舗を幾つも所有する企業の、コーポレートサイトを手掛けるという仕事は、フリーランスとして飛躍するためのきっかけの一つとなったと思っている。
実務において、10を超える全ての店舗に赴くことになった。
往訪の日程の段取りはもちろん、スタッフのシフトの把握からそれに見合った写真の撮影、そして簡単ではあるが取材からライティングまで、webサイトを作るにあたって必要となる核の部分は全て携わらせてもらった。
結局のところ、あちら側の内部事情を理由にライティングしたものはお蔵入りとなってしまったが、店舗及び所属するスタッフの撮影という体験は、後に代えがたい財産となる経験となった。
そして、正直なところ期待していなかった「沖縄での仕事による報酬」においても、当時の自分の実力で言えば充分に満足のいく額であったことも、やはり良い経験となり得る理由の一つだ。
少し話は逸れるが、沖縄における仕事(正社員やアルバイト含む)の報酬には、あまりいい印象を持っていない。この辺の話は、また別の記事で書こうと思う。
プライベートでの出会い
大きくわけると、4人との出会いがあった。2人は男性、2人は女性、だ。
2人の女性のうち、1人は特殊過ぎるので別の記事で書くことにする。
自転車で日本1周をしているモヒカン
沖縄那覇のメインストリートにて、「大綱引き」なるイベントが毎年?開催されている。
一度も見たことがない人のために書いておくと、綱は大の大人が腕を回しても到底回りきらない程の太さ、そして綱の端に立つと、逆側の端に立った人は米粒にすら見えない程の長さ、を誇る。
そんな綱を、東西軍に分かれて綱引きをするのだ。このとき、どのような基準で東西に分かれるのかは知らない。沖縄と言えば外国人も多く見受けられるが、例外なくこのイベントにも外国人がたくさん参加していた。
そんなイベントが終わって直後のストリートに、自転車を押しながら歩いているモヒカンが登場したのだ。自転車の後部には「日本1周中」的なことが書かれていた。
自分がしたいこと、に似ていることを実践している人が、目の前にいる。核戦争後の世紀末に登場してきそうな外見をしてはいたが、好奇心が勝り話しかけてしまった。結果、数日間の寝食をアパートにて共にすることになった。
ある日の夜、天空の城ラピュタを一緒に見た。映画の中で一番好きなセリフは「布だ!この船布が貼ってある!」だと言うと、ゲラゲラ笑っていた。
焼肉食べ放題を奢り、千ベロを奢り、泡盛とオリオンビールを奢り、旅たちの日には餞別となるライスや卵を買ってやった。
最後の日の朝に食べた、飯盒で炊いた米とベーコンエッグの味を今でも覚えている。
フルタイムで働いても月収が10万円にも満たないシングルマザー
書いて字の如く、あくまで自分の価値観だけで言うなれば、報われない人だった。3歳年上の、中肉中背の美人だった。
仕事は保険の外交員をしていた。アパートの部屋に保険の営業に来たのが、知り合ったきっかけであった。まるでアッチなビデオみたいだと、当時も今になっても思う。
まさか向こうも最初の訪問時に「シングルマザーですか?」なんて聞かれるとは、思いもよらなかったであろう。沖縄にはシングルマザーが多い。働かない男も多い。
営業とは言え2度3度やってくるその姿に、自分の人に対する甘い部分が出てしまった。助けたい、と思ってしまったのだ。幕末に人を斬って斬って斬りまくった人斬りではないが、目の前に写る人くらいは助けたかった。
しかし保険は契約できない。だからカレーの具材を母子分買って手渡した。別の日にはチンジャオロースの具材と作り方を書いたメモを手渡した。また別の日には通販で購入していたカニを1箱手渡した。
ガソリン代がなく毎日歩いて営業に行っていると言うから、1万円を手渡した。その日の夜、初めて私服姿の彼女を見た。いつもは営業で来ていたアパートの部屋に、初めて営業ではない理由で招き入れた。
沖縄を発つ数日前の出来事で良かった。始まることもなければ終わることもない。お互いの連絡先すら知らないことが、お互いにとって良かったのだ。
仕事をしない中年男性
沖縄に住む全ての男が、これに当てはまるとは言わない。正直なところ、働かない男に出くわしたのは、沖縄では今のところ彼が2人目だ。
しかし沖縄において「働かない男」というのはステレオタイプらしい。だから女が働く。だから沖縄の女は強い。だから沖縄の女に惹かれる。そして、沖縄の女は弱い、ということを知る。
働かない男にだって、働かないのには理由がある。
出会った中年男性の理由には、参ったことに賛同せざるを得ない、共感部分があった。
有体に言えば、就職した先々での先輩に当たる人種の方針に、付いていけないのだ。仕事の内容ではなく、人としての面で。
滞在しているアパートの、部屋を契約している人の紹介で知り合った彼のある程度の素性は、顔を合わせる前から知っていた。確かな腕を持つ料理人とのことだった。
そしてこれもよくある話、かどうかはリアルにおいてあり得るのかは未経験だが。
客にはろくでもないものを出して金だけ頂く店に対して、やはりいいものを提供したいという彼のポリシーとも言える部分とが、どこの店に就職しても合致したことが一度もなかったらしい。
仕事のジャンルは違えど、彼の信念とも言えるこの部分には、自分の信念とも近しい感情を覚えてしまった。
どんな理由にしろ、働ける場所がない彼にとって、どこかしこに捨ててあるゴミは、宝の山にもなり得るのだと、紹介してくれた人は言っていた。
自転車は整備すれば乗れるし、一体何が捨てられていて何を拾ったのかはわからないが、ロケットストーブなる物まで作っていた。一瞬で火が通るから、料理にはうってつけらしい。
今帰仁の、少し小高い場所にある5階建てアパートの、6階に部屋を借りている彼は、毎晩のように寝転がって夜空を星を見るのだという。あいにく夜を迎える機会には恵まれなかったが、その日見た夕日は、沖縄滞在3ヶ月間で一番心に染みた。