2011年だったろうか。自分の周りには、フリーランスがチラホラと出現し始めていた。
その存在を「フリーランスだ!」と認知していたわけではないが、少なくともどこかの企業に属しているのではなく、個人として仕事を遂行している、というのは理解に容易かった。
初めてその存在を知ったのは、当時勤めていた会社でのことだ。当時はその大切さが広く認知され始めてきていた「web」という分野ではあるが、それでも社内に専任の人材を抱えることが難しかった時代。
もちろん会社にもよるだろうが、少なくとも自分が勤めていたところは、100%web担当、という人材は存在しなかった。大きい会社ではなかったし。
ということで、外部から専門家を呼び、自社のweb回りの業務を依頼すると共に、自社でもwebが出来る人材を育てるために育成枠を設け、その人材は外部の人に学ぶ。自分をその人材としてくれたことに感謝だ。
その会社は、もちろん自社のためにという名分もあるだろうが、どこか自分という個人のためにも、育成を行ってくれているような節があった。
webにも様々な分野があるわけで、合計3人の専門家が外部からやってきた。その3人全員から、それはもう様々な知識と技術を叩きこまれた。何をどう言われても、素直に聞き入れようと出来たのは、自分の才能だと思っている。
今になって思うのは、育成するための人材としてくれたこと、そしてフリーランスの方に教えられたwebのいろは、なによりもフリーランスという働き方を間近で見ることが出来たこと。これが自分の人生の転機であった。
「フリーランスって何?」
先の話から2年後くらいだろうか。年が変わってすぐの1月に、大きくわけて2つの理由により自分もフリーランスとして生きていくことになる。
もっぱら、最初から「フリーランスになるんだ!」という確固たる信念があったわけではない。「今の自分はフリーランスだ。」という自覚があったわけでもない。言ってみれば、どこかの会社で働くことが嫌になった、現代語訳で言うところの社会不適合者。
それでも、働かないことには収入を得られない。どこかの会社に属して働くのが嫌なのであって、働くこと自体が嫌なわけじゃない。
だから、それまでに得ることが出来たwebという分野の知識と技術にて、とりあえず目先の収入を稼ごうと考えた。しかし、そんなに都合よく仕事が見つかるわけじゃない。実績もなければコネもないのだから。
社会不適合者=ただのプー
結果、友人と遊ぶ時間が多くなる。そして友人から決まって言われるのが「フリーランスって何?」という言葉だった。自分でもわからないものを、確かな定義として説明することは出来なかった。
結果、「ただのプー」としての印象が、友人にも、そしてなにより自分にも、残る日々だった。
冒頭の話のような、企業から求められるフリーランスであれば、フリーランスとして成り立つだろう。しかし自分のように、どこの会社から求められるわけでもなく、収入を得るための何かがあるわけでもなく。
そんな人間が、「フリーランスです。」と言ったところで、結局「ただのプー」で終わってしまう。社会不適合者があぶれる時代であっただけに、外部からも、そして自分自身でも、自分への目は曇る日々だった
周知率が上がってきたと感じた2016年
2016年か。書いていて、自分でも「つい最近のことなんだな」、と思う。
社会の常識が変革の時に差し掛かってきたのか、もしくは自分の実力が認められ始めたからなのか。「フリーランスって何?」と聞かれることも少なくなってきていたし、聞かれても説明に困ることはなかった。
地道に、本当に地道ではあるが、少しずつ少しずつ知識と技術を蓄えていた自分の周りには、報酬という形での差はあれど、求めてくれる人が出始めていた。
数千円の仕事もあれば、数万円の仕事もある。100万円には全く手が届かなかったが、何十万単位での仕事もチラホラとではあるが頂けるようになっていた。当時の自分にとって、これは全てにおいて救いだった。
羨ましいという目線
この頃になると、周りの目もだんだんと変わってきたことを、今でもはっきりと覚えている。
会社に属さなくてもいい。好きな時間に働けばいい。好きなことをすればいい。それでいて生活が成り立つ。フリーランスの立場から言わせてもらえば、それらの認識は間違ってはいないが正解でもない。
今の自分で言うなれば、2つの会社に属しているし、好きな時間には違いないが1日14時間以上は働いているし、好きなことは…なんだろう、といった具合だ。
まぁ、それでも「自由」だという自覚は常に持ち合わせることが出来ている。会社に属していてもそうなのだから、やはりフリーランスとはそういった面でいいものかもしれない。何を「自由」だと捉えるかにもよるが。
話を戻して、2016年くらいから「羨ましい」と言われることが格段に増えた。「羨ましいのならフリーランスになれば?」と返すと、「自分には何もない」というような返事が返ってくる。
何もない、というのは知識や技術がない、という意味合いで言ってることが大半だろうが。これまで生きていた年数を生きてきて、そんなことはないだろうに。挑戦しないのであれば、他人を羨ましがるのはお門違いな気がする。
むしろ会社に属することが出来て、決まった時間だけ(ではない場合もあるが)働いて、仕事とは別に時間をかける好きなことがあって。そんな生活をしている人たちの方が、自分にとっては羨ましい。
そんな生活を棄てたのは自分なのだから、これを羨ましがるのもまた、お門違いか。