いわゆるサラリーマンであった頃と比べて、フリーランスとなったことで何が変わったのか。
新聞やネットのニュースやコラムで、「自由な働き方」として紹介され注目されているフリーランス。そんなイメージ通り、かどうかはわからないが、やはり「自由」であると思える場面は多い。
これまた「自由」の定義とは人によって様々だとは思うが、こと自分においての自由とは「いつでもなんでも出来るししなくてもいい。」これに限る。
いつでも、なんでも、出来るし、しなくてもいい。これには「時間」と「こと」、そしてそれらを行うか行わないか、といった人が行動する際に必ず必要となる要素が含まれている。
それらを全て「自由」の名の下に判断できるのが、自分にとってのフリーランスとしての最大の魅力だ。
そしてこれから書くことは、フリーランスという名の人々全てに当てはまるわけではない、ということだけ先に宣言しておく。
良かったことの最大の利点は「自由」だということ
「いつでもなんでも出来るししなくてもいい。」と書いたが、プライベートでは誰もがその通りだろう。だからこれをビジネスに当てはめて考えてみる。
起床時間に始まり、支度から通勤、そして勤め先での勤務を終えて帰宅、というのが一般的な社会人のデイリーモデルだろう。どこかの広告会社や飲食チェーン店のように超絶ブラック企業でなければの話だが。
ということで、そんなデイリーモデルとフリーランスの1日とを比較してみよう。
毎朝7時に起きなくてもいい
平日は毎朝7時起床。人によっては6時や5時、遠方への出勤を要する人や早朝勤務の人であれば4時起きのケースだってあるだろう。毎日ともなれば慣れてくるのが人の素晴らしい面だとは思うが、それでもツラいことには変わりはない。
しかしフリーランスとなると、毎朝何時に起きたってかまわない。これは社会人にとっての1日の始まりにおいて、最大のメリットとも言えるのではないかと、個人的には考えている。
どこかの企業の案件に参画していて、定時出社が求められている人は別だが。そういう人は経験上、毎日の規則正しい生活に慣れているor大切にしている人が多い傾向にあるから、苦にはならないようだ。
満員電車や車の運転が発生しない
そもそもだが、出社が求められていないので通勤というものが発生しない。
生まれ故郷である和歌山はそうでもなかったが、東京23区の朝夕の通勤ラッシュは、電車や車に関係なくすさまじいものがある。「どこかで死が発生していてもおかしくない」という恐怖さえ感じるほどだ。
少し話は逸れるが、あの通勤ラッシュを毎朝、しかも数年から数十年に渡って体験している先人たちには頭が下がる。尊敬の念すら抱く。
そうまで思える、あの地獄の通勤ラッシュがデイリーの朝夕両方に発生しない。これは起床時間に続き2つ目のメリットだ。
仕事に割り当てる時間や気持ちも自由
起床時間と通勤ラッシュ。この2つだけでもフリーランスにおけるメリットとして申し分ないわけだが。その上更にサラリーマンとは一線を画すメリットが存在する。
それは「仕事」における自由だ。
例えば勤務時間を例にとってみる。フリーランスであれば、1日の中で仕事に割り当てる時間を自分で割り振ることが出来る。
日本であれば1日8時間勤務がデフォルトのように囁かれているが、そんなものは知ったこっちゃない。1日4時間や、2時間のときだってある。
それでいて、サラリーマンが8時間働いて手にする給与と、フリーランスとして働いた4時間の給与とが、ほとんど差がないという結果すら得られる。報酬によっては2時間でサラリーマンの8時間分を補なえることだってある。
時給換算したときの気持ちの問題
サラリーマンとしての給与と、フリーランスとしての報酬と、それぞれを時給換算した場合における気持ちの問題も、やはり大きい。
そしてこれは、あくまでフリーランスとしての報酬の方が高い場合に限って、ということが前提の話ではあるが。
誰だってそうだとは思うが、同じ時間を働くという行為に充てた場合、時給は多いほうがいい。仕事の内容が近ければ近いほど、この気持ちは大きくなるだろう。
この点において、かつてのサラリーマン時代の時給と、フリーランス以後の時給とを比較すると、フリーランス以後の方が圧倒的に高い。2倍や3倍どころではないときも多々ある。