「時給100円以下の仕事を引き受けますか?」
100人中150人は、「ノー!」と力強く答えることだろう。もしくは「ノー…」と少し戸惑いながらも「引き受けるハズないじゃん…」という雰囲気を如実に示しつつ断るであろう。
数十年前の貨幣価値は知らないが、現代日本における100円の価値を知っている者なら、断るのが当然の質問なハズ。
ところがどっこい、結果的にとは言え「イエス」の決断をしていた勇気ある一人の男がここにいますよ、という物語を語ろう。
フリーランスにとっての時給
結論から言っておくと、
「時給100円以下の仕事を引き受けますか?」
という冒頭の質問をされて「はい、引き受けます」と答える人はいない。これは断言できる。絶対にいない。
しかしだ、
「1案件500円の仕事ですがどうですか?」
という質問になら、「はい、引き受けます」と答える人はいる。これも断言できる。なぜなら自分がそうだったからだ。
5時間かかった場合の時給
そんな案件にクソ真面目に付き合った結果、必要となった時間が5時間であったなら、500円÷5時間=100円となり、時給100円以下の案件の出来上がりだ。
そもそも根本的に、どんな案件であっても1つの案件に対する報酬が500円なんて、そんなワンコインランチのような仕事、そしてそんな仕事を受けるなんてことあり得るの?と考える人もいるだろう。
あり得るのが現代日本の社会、そして「自由」という言葉で評されることが多いフリーランスの実情だ。自由はあるが、実力もコネもないフリーランスの時給なんて、そんなもんだ。
もちろん、実力かコネか、もしくはその両方があるフリーランスなら、時給もドカンと跳ね上がることだろう。
フリーランスだから
振り返ってみれば、「時給が100円以下になる」ということを事前に把握していれば、引き受けてはいない仕事だったハズだ。
引き受けたはいいが、クライアントとのやりとりや実務を経た結果、「これじゃ時給に換算すると100円以下だ…」と、後になってわかったことだった。「こんなに時間がかかるハズじゃなかったのに…」ってな具合に。
そんな自分の無能っぷりをこうして世界に向けて発信しているのも、今でこそ出来ることだが、当時の自分にとってはこんなに悔しいと思えることはなかったハズだ。屈辱であったハズだ。
引き受けてはいない仕事だったハズだ、と書いたが、それでも継続して引き受けていた自分がいたことも、紛れもない事実として自分の過去に残っている。「フリーランスだから仕方ない」と、半ば諦めた形で引き受け続けていた。
フリーランスだから。
時給という概念
誰もが目に耳にしたことのあるアルバイトの報酬は、「時給〇円」というものだと思う。
この「時給〇円」という概念で働くということが、フリーランスになりたての当時は心から嫌だった。
「時給で働くならアルバイトと一緒。フリーランスになった意味がない。」という、今になって思えば愚かな考えの元で生きていたので、高校生のアルバイトですら稼ぐお金の数分の一しか稼げない時期もあった。
反面、お金には代えがたいものを手にすることも出来たので、当時の考えとその考えに乗っ取った行動を取っていたのも、今となっては一長一短といったところか。
お金には代えがたいもの
具体的に挙げるとすれば、今の自分に何があるだろうか。
バナーを作るための写真加工技術?
webサイトを構築するためのHTMLとCSSの知識?
無から有を得るためにGoogle Adsenseの審査を幾人分も通してきた経験?
ひいてはそれらを無償に近い形で提供してきたが故の、人としての信用?
そういったモノの一つ一つが、どれだけ今に繋がっているのかはわからないし、そういったモノの一つ一つではなく、もっと別の何かが今の自分には備わっているのかもしれない。
だが確実に言えることは、そういったモノの一つ一つが、自分のフリーランスとしての誇りになっていることは、今自分が感じている最も価値のあることの一つである、ということだ。
時給や報酬に縛られる必要はない
「時給100円以下だったフリーランス1年目の物語」というタイトルだけを見ると、自分を卑下するかのような内容だと想像した人がほとんどだと思う。
もしも今、この瞬間、時給が100円以下だったり、100円じゃなくても自分が納得のいかない時給や報酬で仕事をしているフリーランスがいるなら、それは自分一人だけではないということを知ってもらえたらと思う。
時給100円という考えられない報酬の仕事を、実際に受けていたフリーランスがいるのだから、あなたが今している仕事は少なくとも時給100円以下の仕事よりはいいですよ、ということだ。
そしてそれは、いつかお金には代えがたいモノになるハズですよ、ということ。
時給や報酬に縛られて生きてきていたとしたら、きっと今の自分はなかったハズだし、フリーランスだからこその様々な経験や出会いもなかったことだろう。