出会いの場は、クラウド上でのマッチングサービスであるクラウドワークスだった。
紹介やコネがなく、ネット上で仕事を求めるしかないフリーランスにとっては、このクラウドワークスとランサーズがマッチングサービスの2強であったと考えている。少なくとも2014年当時は。
にもかかわらず、クラウドワークスで知り合うと同時にそれなりの関係を気付けたのは、今回の人だけだった。ランサーズでは最終的に100件近くの受注を受けたのに。
そもそも、クラウドワークスでプロジェクトに応募した件数が1件で、ともすればその1件がこの人が募集していたプロジェクトであった。
印象として、ランサーズに比べクラウドワークスには自分が求めるような、対応できるような、そして対応したいような、そんな案件が極端に少なかったのだ。
東京の制作会社との付き合いが始まった日
クラウドワークスで応募した仕事の依頼元は、東京の制作会社であった。
依頼主は自身の素性と会社名、会社サイトURLを公開していたので、どのような会社なのかはすぐにわかった。なるほど、すこぶる良き会社のような気がした。取引先も名だたる企業、機関が名を連ねている。
そういった面に目が眩んだわけではない、とも言いきれないが、そのような取引先がある会社であれば、フリーランス1人あたりに外注する仕事の量も、そして額もそれなりだろうと踏んだ。
なにより、継続して仕事をもらえるかもしれない、というのは当時の自分としては何よりも大きいイニシアティブだった。
タイミング的にも、こちらの提案内容的にも、即マッチングすることが出来た。あの日あのとき、クラウドワークスを見て利用した自分を褒めたいと思う。100%運のなせる出会いであった。
時給1000円以上の仕事の内容
その制作会社からの仕事、というよりは、制作会社を率いている代表者からの仕事、という言い方が正しいかもしれない。
それらの仕事の内容が、当時の自分にとってはどれもこれもが重荷ではないだろうか、と考えていた。最初の案件さえハワイのアロハ系サイトの簡単で短期的な更新だったが。
続く案件はアメリカのバンク社内広報サイトの定期的な更新、その次は中小企業のサイトリニューアル、そして大きな案件だと外資系の大企業となるサイトリニューアルと、どれもこれもが未知の体験で気負うこともあった。
そうそう、肝心の時給の話だが、最初の案件時は1000円、その後は毎月100円ずつ上げてもらうという条件で折り合いがついていた。月を跨いで案件が進捗していても、時給は毎月100円上がるのだ。
バンク社内広報サイトの更新
そのバンク名で検索すると、当時は既に日本からは撤退していたようだが、それでもアメリカに拠点を置く大企業であることには変わりなかった。
そんな企業の社内広報サイトの更新に携わらせてもらった、という経験と価値は非常に大きい。ともすれば、企業の社員が知るよりも先に、その企業の実情や予定を知ることになるのだ。
これにはなんというか、「優越感」すら覚えたのを今でも覚えている。と同時に、社員よりも先に外部の人間が知ってもいいものかと、そして外部の人間に漏らしてもいい情報なのかと、不安も覚えた。
意図せずとも、こちらの人為的もしくはなんらかの理由の元で、情報が外部に漏れる危険性だって当然あるのだ。信頼してもらうにはまだ早すぎる期間だったし、リスクヘッジへの考え方が甘いと認識せざるを得ない面もあった。
中小企業のサイトリニューアル
先のバンク社内広報サイトから、今回の中小企業サイトリニューアルに至るまでには、細々とした仕事が存在した。
仕事と連絡が全くない週もあったが、そんなときには自分の知識や技術の向上のために、本を読んだり実際にwebサイトを作ったり、あとはこの頃写真の撮影も始めようと、一眼カメラにも手を出し始めていた。
余談となるが、この写真撮影は仕事にしようと始めたわけではなく、いつか世界に出るとなったときに、目の前に広がる風景を写真に収めたいと考え、少しでも良い写真を撮影したいがために練習しておこう、と始めたものだ。
それが今や、この写真撮影ですらきちんと報酬を得られるスキルとなっているのだから、何がどうなるのかわからないものだ。人生とはかくも不思議である。
そうそう、この頃には時給も1500円くらいになっていた気がする。この頃の数年前にしていた高校生時のアルバイト額は時給750円だったので、「倍もあるなら大満足」くらいに思っていた。
外資系の大企業サイトリニューアル
知り合って約1年、電話でのやりとりはもちろん、制作会社への往訪、更には代表者の自宅への往訪、相手家族との付き合いに至るまで、そこまでの関係となったこの頃には、お互い信用の度合いも知り合った当初からは相当進んでいた。
当然と言えば当然だが、依頼される仕事の内容も、そして内容の大きさも、相手からこちらへの信用度合いが見て取れるものになっていた。
一度は「経済大国」と呼ばれた国だ。当時のGDP(2015年)で世界3位に落ちてしまっていたとはいえ、日本でビジネスを始めたい、日本で市場を開拓したい、と考える、これまた経済の発展が著しい他国の企業は相当数存在する。
そんな企業にとっての強い味方となるのが、今回のサイトリニューアルとなった元の企業だ。
他国の企業が、日本に進出するとなった際の市場調査や公的手続きなど、「必要となることは何なのか」といった初歩的な観点からサポート、そして実務を行うという企業であった。
この企業にとってのクライアントは、英語圏を中心とする企業が多かったようで、必然として英語と日本語両方の言語をサポートするサイトが求められた。
制作会社代表者のサポートの元、毎日毎日webサイトの制作に取り組んでいた。当時のやりとりを見ると、10月に始まり2月に納品しているので、約4ヵ月もの間、1つのサイトを制作していたことになる。
1月中頃には、クリスマスからそれまでに大幅な変更があり「暴れてやりたい」とこちらに愚痴を送ってきている代表者の履歴が残されている。「そろそろ追加料金による反撃のときだ」とも。
見栄えも、そして更新の簡単さも、当時の自分の中ではそれまでで最高の出来に仕上がった。もっと早く周知していたことだが、制作会社の代表者の実力は相当に凄いものだった。まず血縁が凄い。そして経歴も凄い。奥様も素敵。
そうそう、この頃には時給も2000円を超え、気持ち的にも余裕が生まれていた。律儀に毎月時給を100円上げるという約束を守ってくれている相手方にも、心から感謝していた。
代表者への思い
デヴィッド・ボウイが好き。イラン出身の奥さんのために、経済制裁が解かれ大成長する見込みがあるからと、イランにレストランを出す。ニューヨークで仕事を始めた彼にとって、多様な人種と文化をビジネスとして受け入れることは容易。
渋谷に会社を構え、自由が丘に家を持ち、こちらがお邪魔させてもらっているときにやってくるお客さんは責任と結果を求められる立場にある人ばかり。日本人なら誰もが知っている企業、機関の人たちだ。
そんな人が、まだ20代であった、ろくな知識も技術も持ち得ていない青二才に、なぜ仕事を依頼してくれたのだろうか。クラウドワークスで応募したタイミングが相当に良かったのか、もしくは他に理由があるのか。とにかく様々な仕事を与えてくれた。
仕事以外も
ニューヨークでの暮らし、仕事、日本に来てからの暮らし、仕事。共通する点、異文化、経済や社会の成長といったこと。企業との付き合い方、社内内部の人間との付き合い方。もちろん、技術的なこと、センスのこと。
1年と少しの間に、たくさんのことを教えてくれた。学ぶ機会とチャンスを与えてくれた。
日本という国に、代表者の先祖となる人たちが受けてきたこと。日本に生まれたがニューヨークに渡り、ニューヨークで仕事を始め、それでも日本という国に帰り仕事を始めたこと。
色々と葛藤することがあっただろう。日本人の自分に仕事を依頼することに、抵抗はないのかと感じたときもあった。
そろそろ、体力的にも気力的にも、疲れのピークを迎えていることを実感していた自分にとって、甘える要素を棄てる意味も含め、この人の元を去らなければ成長できない、と考えた。
その後もよく、「仕事あるけど、やりますか?」というメッセージを送ってきてくれた。有難かったが、外に求めることは一旦ストップしようと思っていた。学びと成長を求めるのは、外にではなく自分の中に。
結局これが、この人と連絡を取らなくなるきっかけとなった。この制作会社のサイトを見ると、最近リニューアルをしたようだ。他社のサイトにかける気概を、自社にもかければいいのに、と思う。
それでも、当時サイトに載っていた代表者の笑顔と、今も変わらぬ笑顔で撮影し直した写真を見ることができて、ほっとした。
直接伝えられない言葉を、ここに記そうと思う。「ありがとうございました。」